猫間殿

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都落ちした平家一門にかわって木曽義仲が都入りすると、
すぐに後白河法皇は鞍馬から法住寺の院の御所に帰還します。

そして義仲と義仲の叔父新宮十郎行家をむかえ、
また義仲に伊予守の位と「朝日将軍」という称号をさずけます。

さらに平家一門の官職を停止し、
さっそく義仲と行家に平家追悼を命じました。

こうしてほかの源氏たちに先んじて都入りした義仲でしたが、 その評判はあまり良いものではなかったようです。

頼朝に征夷大将軍の院宣を下すために鎌倉に下っていた中原泰定が都に戻ってくると、
泰定は法皇の御所に参院し頼朝のことを報告します。

「ほう、頼朝とはそれほどゆゆしき男であったか」
「はっ、物腰といい言葉づかいといい、東国育ちとは思えぬ優美さです」

公卿・殿上人たちも頼朝の話を聞いて感心します。

「それに引き換え、今都を守護しているあの義仲という男は何じゃ。
立ち居振る舞いの無骨さ、言葉づかいのたどたどしさ。話にならん!」
「何しろ2歳から30歳過ぎまでの木曽の山里育ち。それも無理からぬこと…」

猫間殿

ある時義仲の舘に、猫間中納言光高という貴族が相談事があって訪ねてきました。
義仲の郎党が取り次ぎます。「猫間殿がお見えです」義仲は、

「何ッ?都では猫が人に会いにくるのか?」

と大笑いします。郎党はキョトンとして、

「いえ、猫間中納言という公卿の方が見えられたのです。
猫間とはお住まいの御所の名前です。」

「ならば会おう」

しかし義仲は「猫間殿」とはいわずに「猫殿」で通します。

「せっかく猫殿が昼餉時に来られたのじゃ。馳走せよ」

貴族の食事は朝と夜で昼は食べないものでした。
義仲はそれを知らずに昼飯をすすめます。

「いえ、私はそんな、食事など…」
「猫殿、遠慮なさるな」

また都は海が遠く、魚は塩漬けにすることが多かったです。
対して生魚を「無塩」と言いました。それを義仲はなんでも
新鮮なものは「無塩」と言うと勘違いしていて、言いました。

「無塩の平茸を馳走いたそう」

根井小弥太(四天王の一人根井行親の長男)が配膳します。
でかでかとした田舎茶碗に山のように飯が盛られ、
山菜が三品と平茸汁がついていました。

義仲の前にも同じ茶碗が出ます。義仲はガツガツと食べ始めましたが、
猫間殿は茶碗が汚れているので、箸をつけずにいました。
義仲はそれを見越して

「猫殿、汚いことは無い。これは義仲の精進用の茶碗じゃ」

ガツガツと飯をかきこみます。

さすがに全然食べないのも悪いだろうと猫間殿がちょっと食べたふりをすると、

「猫殿は小食よのう。これが噂にきく猫の食い残しか。かきこみたまえ、かきこみたまえ」

義仲はさかんに急かします。

猫間中納言はこのような木曽のふるまいにあきれ果て、何も話さず早々に
義仲の舘を立ち去りました。

暴走牛車

その後義仲は「位についた者がいつまでも直垂姿でいるのはよくない。
ピシッと狩衣で決めるべきだ」などと言い出します。

(武士の普段着が直垂、いっぽう公の場でまとう正装が狩衣です)

しかし義仲の正装姿はお世辞にもサマになっているとはいえず、
烏帽子のかぶりようから指貫の裾まで、いかにも無骨で見苦しいものでした。

鎧甲をまとって馬上の人となっている時の精悍さとは、えらい違いです。
そんな義仲ですが、院の御所へ参るにあたり腰をかがめて牛車に乗り込みます。

この牛車はもと平宗盛のもので牛も牛車も超高級です。
牛飼いもついこの間まで宗盛に召し遣われていました。

身分いやしき者ながら、
平家一門の人びとの優雅な、
洗練された立ち居振る舞いをまじかに見てきたんです。

(それに比べてまあ、なんだこの田舎者は…)

そんなこと思ったかもしれませんね。

ぺちっと鞭を当てます。

ガタガタガタ…勢いよく車が走り始めて、
義仲はバターンと後ろに倒れます。

「わっ、なんだこれは!おいッ」

「蝶が羽を広げたるがごとく」両手を広げて車の中でジタバタジタバタする義仲。
義仲は「牛飼い」という言葉を知らず、

「やれ、仔牛こでい、やれ、仔牛こでい」と怒鳴ります。
「こでい」は健児(こんでい)がなまった形で、
義仲は「牛飼」という言葉を知らずに、自分の知っている言葉で
とっさに言ったわけです。

「ん?車をやれと言うのか」

牛飼いは勘違いします。ガラガラガラ…さらに56町車を走らせます。
そこへ今井四郎兼平がバカラッバカラッと馬ではせてきて、
ようやく牛車を止めました。

「どうして御車を、このように走らせたのだ!」
「すみません…牛の鼻があまりに強くて、ひっぱられてしまいました」

その後、牛飼いは義仲と仲直りしようとしたのか、言います。

「そこにある手すりにつかまってください」
「おっ、この手すりか。ははは、なかなか調子がよいぞ。
これは牛こでいのはからいか。それとも宗盛殿が用意しておったのか」

…そんな呑気なやり取りもありました。

そのうちに牛車は院の御所につきます。
義仲は牛車の後ろから降りようとしますが、
係りの者がこれを止めます。

「車には後ろから乗って前から降りるものです」

しかし義仲は、

「どうして車を素通りしてよいものか」

強引に車の前から降りてしまいました。

このように義仲のふるまいにはおかしな点が多かったものの、
みんな義仲を恐れて何も言いませんでした。

≫次章「水島の合戦」

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