和泉式部日記

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『和泉式部日記』の作者和泉式部は、平安時代中期の歌人です。紫式部や清少納言と同時代を生きた女性です。夫の赴任先「和泉国」から「和泉」をとり、 父の官職名から、「式部」を取り「和泉」と「式部」をあわせて、「和泉式部」です。本名はわかっていません。

恋多き女のイメージで知られます。百人一首56番「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」の作者としても有名です。

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19歳の時、父の片腕を務めていた橘道貞(たちばなみちさだ)
という人物と結婚します。
やがて二人の間には女の子が生まれます。

後に、母和泉式部と並んで歌人として名をはせることとなる、
小式部内侍です。

為尊親王との恋

子供が生まれたものの、和泉式部は10歳も年下の夫に
飽き足らないものを感じておりました。

宮仕えしているうちに、時の冷泉天皇の第三皇子、
弾正宮為尊親王(だんじょうのみやためたかしんのう)に
言い寄られ、恋仲になります。

娘の浮気を知った父雅致は怒り狂います。
しかもただの浮気じゃないのです。相手は皇族です。

宮さまと、お前はそんなことになって、
何を考えているんだ!あんなマジメな夫だっているのに。
身分違いもはなはだしい!!

いいですいいです、お父様がそうおっしゃるなら、
親子の縁を切りましょう。

おお出て行け、ということで勘当されます。

さらに夫にも宮さまとのお付き合いがバれ、離婚されます。

和泉式部、波乱万丈な人生の幕開けです。

為尊親王の死

とことん宮さまについていくわ、私にはもう、
宮さましか、いないのだからと、和泉式部は一直線でした。

しかし、

この第三皇子為尊親王、若くして亡くなってしまいます。
わずか26歳です。

恋人を失い、家庭は壊れ、親には勘当され、
悲しみに暮れる和泉式部。
ぬけがらのようになってしまいました。

橘の花

そんなある日、

悲しみに暮れる和泉式部のもとへ、
亡くなった為尊親王に仕えていた童がたずねてきます。

童は今は弟宮の帥宮敦道親王(そちのみやあつみちしんのう)に
仕えていることを語ります。

そして童は敦道親王から預けられた
橘の花を和泉式部に差し出します。

橘の花というのは、

五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

という古今集の有名な歌があります。
和歌の世界では「昔の恋人」を暗示する花です。

敦道親王は、和泉式部が亡くなった兄を想って、
まだ悲しみに暮れているのか、どうなのか、
その様子伺いをしてきたわけです。

この書き出しはとても雰囲気があるので、
ぜひ原文で味わってほしいところです。

原文

夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下くらがりもてゆく。築土の上の草あをやかなるも、人はことに目もとどめぬを、あはれとながむるほどに、近き透垣のもとに人のけはひすれば、たれならむと思ふほどに、故宮にさぶらひし小舎人童なりけり。

あはれにもののおぼゆるほどに来たれば、「などか久しく見えざりつる。遠ざかる昔のなごりにも思ふを」など言はすれば、「そのこととさぶらはでは、なれなれしきさまにやと、つつましうさぶらふうちに、日ごろは山寺にまかり歩きてなむ。いとたよりなく、つれづれに思ひたまうらるれば、御かはりにも見たてまつらむとてなむ、帥宮に参りてさぶらふ」と語る。「いとよきことにこそあなれ。その宮は、いとあてにけけしうおはしますなるは。昔のやうにはえしもあらじ」など言へば、「しかおはしませど、いとけぢかくおはしまして、『つねに参るや』と問はせおはしまして、『参りはべり』と申しさぶらひつれば、『これもて参りて、いかが見たまふとてたてまつらせよ』とのたまはせつる」とて、橘の花をとり出でたれば、 €€€€€€€€€€€€€€€€€€€€€?昔の人の」と言はれて、「さらば参りなむ。いかが聞こえさすべき」と言へば、ことばにて聞こえさせむもかたはらいたくて、「なにかは、あだあだしくもまだ聞こえたまはぬを、はかなきことをも」と思ひて、

薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなじ声やしたると

と聞こえさせたり。

まだ端におはしましけるに、この童かくれのかたに気色がみけるけはひを、御覧じつけて「いかに」と問はせたまふに、御文をさし出でたれば、御覧じて、

おなじ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変わらぬものと知らずや

と書かせたまひて、賜ふとて、「かかること、ゆめ人に言ふな。すきがましきやうなり」とて、入らせたまひぬ。

もて来たれば、をかしと見れど、つねはとて御返り聞こえさせず。

賜はせそめては、また、

うち出ででもありにしものをなかなかに苦しきまでも嘆く今日かな

とのたまはせたり。もとも心深からぬ人にて、ならはぬつれづれのわりなくおぼゆるに、はかなきことも目とどまりて、御返り、

今日のまの心にかへて思ひやれながめつつのみ過ぐす心を

現代語訳

夢よりもはかない世の中を、亡き宮様との楽しかった日々を思い嘆きながら式部は毎日を過ごしていた。そのうちに四月十日すぎになったので、木の下の緑もだんだん濃くなってきた。

塀の上の草も青々としてきた。人は特に目にも留めないが、式部の目には宮様とすごした夏の季節がしみじみと思い出され感慨深いことなのだ。そんな時、すぐそばの生垣のところに人の気配がしたので、誰かしらと思ってみてみると、亡くなった宮さまにお仕えしていた小舎人童だった。

しみじみ物思いに沈んでいる時にその童が訪ねてきたものだから「どうして長い間顔を出さなかったの。遠ざかっていく昔のよすがにもと、思っていたのに」侍女を介して、小舎人童にそう伝えた。

「お訪ねしようと思ってはいたのですが、馴れ馴れしいだろうと遠慮しておりました。最近は山寺参りに出歩いておりましたが、なんとも心細い立場ですし、所在なくも思われまして、亡くなった宮様のかわりにお仕えしようと、今は弟君の帥宮さまのもとにご奉公に上がっております」

「それは結構だこと。弟宮さまはたいそうお上品で、近づき難い方なのですってね。以前兄宮さまにお仕えしていた頃のようには、とてもいかないでしょうね」などと言えば、

「そうではありますが、私のことをえらく身近に置いてくださり『式部のもとへお前はしょっちゅう顔を出すのか』とおっしゃるので『はい顔を出しております』と申し上げたところ『これを持っていって、どう見るかお伺いしろ』とおっしゃいます」

童がそう言って橘の花を取り出したので、式部は思わず「昔の人の…」という古歌をつぶやいてしまった。

「ではこれから宮様のもとに参ります。なんとお伝えいたしましょう?」と童が言うので、式部は口頭だけで伝言をたのむのも失礼だと思い、歌を書いた。

(なにかまうものですか。弟宮さまには女たらしの噂も聞かないし、それにただ歌のやり取りにすぎない、かりそめのことなんだから)と思い、

橘の香にかこつけて私の消息をお尋ねになりましたが、それより私は聞きたいものです。あなたの声は、兄宮さまと同じ声なのかということを。

とお返事をした。

弟宮さまはまだ縁側にいらっしゃった。そこへこの童が物陰から合図をすると、弟宮さまはお気づきになって「どうだった」と聞かせた。童は式部からことづてられた文を差し出す。弟宮さまはそれをご覧になって、

同じ枝にとまって鳴いているほととぎすのように、私たち兄弟の声は同じですよ。知らなかったんですか?

と返歌を書かせて、

「こういう歌のやり取りをしたことを、けして人に言ったらだめだよ。まるで私が女たらしみたいじゃないか」と弟宮さまは童に注意して、家にお入りになった。

童が式部のもとに手紙を持っていったところ、式部は興味をいだいたが、そんなしょっちゅう歌を差し上げるのも何だということで、式部は歌は返さなかった。

弟宮さまは、せっかく歌のやり取りをはじめたのだからと、さらに歌をお送りになった。

あんなにハッキリ私の気持を告白しなければよかった。告白したばっかりに、今日こんなにも心乱されているんです。

と歌を書き送られた。式部はもともと思慮分別がそれほど深いほうではなく、馴れない退屈な毎日につらい思いしていたので、こんな歌の上での戯れ合いにも目をとめて、歌を返した。

あなたの心苦しさはしょせん今日一日だけのことでしょう。私なんか、亡くなった兄宮さまのことを思って毎日悲しみにくれているのです。その気持を、考えてみてください。

……これをきっかけに和泉式部と
敦道親王の歌のやり取りが始まります。

どうです一度直接会いませんか、
でも私は兄宮さまのことが、あっ、そんな、
そうは言っても、ぼくはもう気持ちが押さえられないんだ。
ガバッ。そういうわけで男女の関係になります。

和泉式部と敦道親王の関係はたちまち
宮中のスキャンダルになりました。

兄につづいて弟から、しかも社会的にトップクラスの男性から
お誘いを受けた、モテましたね和泉式部。
どこか男性から見てたまらないものがあったんでしょう。

「和泉式部日記」はこの敦道親王との恋愛関係を、
やり取りされた歌を中心につづった、歌物語です。


その後の和泉式部

敦道親王との夢のような毎日が続きますが、
それも長く続きませんでした。

4年後、敦道親王は26歳の若さで亡くなってしまいます。
兄弟そろって若死にです。

再び取り残された和泉式部の悲しみは深く、
「和泉式部集」の中に亡くなった敦道親王をいたむ歌を
120首も遺しています。

敦道親王との死別後の和泉式部は一条天皇の中宮彰子に
仕えます。このとき娘小式部内侍も、ともに中宮彰子に仕えます。

(中宮彰子の後宮の先輩に、紫式部がいます)

50歳のころ、娘小式部内侍が20代の若さで亡くなり、
60歳のころには夫保昌にも先立たれ、
和泉式部は一人残されました。

晩年の和泉式部について、詳しいことはわかっていません。

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