小坪合戦

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敗戦の知らせ

「それで、佐殿は!
佐殿はご無事なのかッ!!」

酒匂川の三浦一族
酒匂川の三浦一族

8月24日、丸子川(現在の酒匂川)のほとりにいた
三浦一族のもとに、先日の石橋山の合戦で
源頼朝が破られたと報告が届きます。

ボロボロになって到着した使者が、
合戦の模様を報告します。

「北からは大庭景親軍3000騎、
南からは伊東祐親入道300騎に攻め立てられ、
佐殿ご自身も矢を放ち放ち戦われましたが、
3000対300の兵力差いかんともしがたく…
あそこに討たれここに破られ…」

報告を受ける三浦義澄の顔が真っ青になっていきます。

「くっ…我ら三浦一党が間に合ってさえいれば…」

つぶやいた義澄を、父義明が叱り飛ばします。

「ばかものーーッ。
お前は、誰を頼んで伊豆まで
向かおうとしていたのだっ

これしきのことで
志を折られる佐殿ではないぞ。
きっと上総か安房へ
逃げ延びていらっしゃろう。
我らも今は退き、再起をはかるべきじゃ。
衣笠城へ戻るぞ!!」

「父上ッ…!!」

三浦義明はこの年89歳。すでに家督は
息子の義澄にゆずり隠居していましたが、
頼朝公の挙兵ときき、老骨に鞭うって
はせ参じたのでした。

三浦党は平治の乱まで義朝に従っていましたが、
義朝が平治の乱で破れ討たれた後は不遇でした。

今回、義朝の三男である頼朝が旗揚げしたと聞き、
義明は飛び上がって喜びました。

(義朝公…いただいたご恩は、20年経った今でも、
一日とて忘れたことはございませぬ。
御曹司の旗揚げ、
必ず我ら三浦党が一丸となってお支えいたしまする)

そのようなことをつぶやいたかもしれませんね。

むかいあう三浦・畠山

三浦義明、義澄以下500騎は酒匂川のほとりから
本拠地である三浦半島衣笠城へ引き返していきます。

三浦一族、衣笠城へ
三浦一族、衣笠城へ

平塚を越え、茅ヶ崎を越え、
稲村ガ崎を過ぎ、由比ガ浜に至った時。

平家方の武将畠山重忠の軍勢と出くわします。

畠山重忠はこの年17歳。この時父重能が大番役として
京都に赴任しており重忠が一族を率いて
頼朝討伐へ向かっていたところでした。

「ぐぬう…同族の情はあるが…
見過ごすわけにはいかぬ!!」

源氏方・三浦義明・義澄父子300騎は厨子の小坪に。
平家方・畠山重忠500騎は鎌倉由比ガ浜に。

それぞれ布陣し、にらみ合いとなります。

しかし、もともと三浦と畠山は親類同士です。
本心から言うとお互いに合戦は避けたいところでした。

また畠山重忠も心から平家に
したがっているわけではありませんでした。
20年前の平治の乱以前は畠山家は源義朝に仕えていました。

義朝が討たれたために平家に従いましたが、
もともとは源氏につながりが深いことを自覚しています。
その点は畠山も三浦と同じでした。

そうはいっても、目の前で公然と平家に弓引く
三浦一族を見逃すことも後々問題にされかねないことで、
畠山重忠は、苦しい立場に立たされていました。

(できれば形ばかり刃を交えた後で、
すんなり見過ごすという形に持っていきたい…)

このように双方の事情がからんだ結果、
ここで戦うのはお互い得るものが無いということになり、
使者を取り交わし、和睦が成立します。

こうして三浦軍はだまって畠山軍の前を
通り過ぎることを黙認されました。

誤解からはじまった合戦

「ふう…重忠殿は通してくれるようですね」

「当たり前だ。今は平家に通じているとはいえ、
重忠殿もきっと内心では佐殿の挙兵を喜んでいるさ」

ザッ、ザッ、ザッ、ザッ…

三浦党は鎌倉の海を右手に見ながら、三浦半島に
向けて馬を進めていきます。やがて鎌倉と厨子の境
小坪峠にさしかかります。

そこへ、

「和田義茂、加勢ーーーッ!!」

バカラ、バカラ、バカラ、バカラ、

「なにっ!?」
「ぬ?」

遅れてきて事情を知らない和田義茂(わだよしもち)が、
三浦軍に加勢し畠山軍に矢を射かけようとしました。

「わあっ、バカ!和睦が成立したんだ!和睦。和睦だ!!
畠山は敵じゃない。矢を射てはならん!!」

ぶんぶんと手を振って合図しますが、
和田義茂はとことん空気の読めない男でした。
これを別の意味に解釈します。

「なるほど、とことん攻めろということですな!
もちろんです。やりますとも!!」

ヒュン、ヒュン、ヒュン、

和田義茂と郎党たちは畠山軍に雨のように矢を射かけます。

「ぐわっ」「ぐえっ」

和睦が成立したと思っていた畠山軍はさんざんに射殺されます。

17歳の畠山重忠は、無抵抗の郎党たちが
バタバタと射殺されていくさまを目の前にします。

「お…おのれーーッ!!
和睦などと偽り、
我らをたばかったなッ!許せぬ!!」

怒り心頭に達する畠山重忠・17歳。

「射殺せ!!」

ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン

畠山軍は三浦軍にさんざんに矢を浴びせかけます。
三浦軍もこうなっては仕方ないと
畠山軍にさんざんに矢を浴びせかけます。

かくして小坪峠には双方の死体が
累々と転がることとなりました。

親類同士にあたる三浦と畠山の、
すれちがいから起こった不幸な事件でした
(治承4年(1180年)8月24日 小坪合戦)。

しかし、事はこれだけで終わりになりませんでした。

衣笠城へ

翌8月25日、畠山重忠は三浦一党を攻めるため、
同族の河越重頼、江戸重長らに加勢を呼びかけます。

河越重頼、江戸重長らはこれに応じ、
数千騎にふくれ上がりました。

一方、三浦義明、義澄父子以下三浦党450人余りは
三浦半島のほぼ中央に位置する衣笠城にこもり、
徹底抗戦の構えを取ります。

≫つづき 「衣笠城合戦」



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