山木兼隆舘襲撃

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「敵は山木兼隆!」

頼朝は来る8月17日の三嶋大社の祭の夜、
伊豆国の目代、山木兼隆を襲撃することを決めます。

山木兼隆は伊勢平氏の流れをくむ平氏の血筋ですが、
父信兼の怒りを買って伊豆国山木郷に罪人として流されていました。
ただし何をして怒りを買ったか、詳しい事情は不明です。

当時の伊豆の国主は平時忠(?-1189)。
平清盛の義理の弟にあたる人物です。
平清盛の妻時子は時忠の妹です。
また、後白河法皇の后の建春門院滋子も時忠の妹でした。

時忠は生涯に二度、出雲国に島流しになっていますが
いずれも返り咲き、平家政権の中で重要な地位を占めるに至っていました。

かの有名な言葉。
「平家にあらずんば人にあらず」
を言ってのけたとされる、気性の荒い人物です。

その時忠が、何を思ったか山木兼隆をたいへん目にかけ、
とうとう伊豆国の目代…代官として取り立てます。

山木兼隆は時忠に目にかけられているのをいいことに、
周辺の領土に対して威張り散らすようになります。

頼朝の監視も、山木兼隆に命じられていた
仕事の一つでした。

北条政子と山木兼隆

北条時政は、わが娘政子を山木兼隆に嫁がせようとしたという話があります。
この時頼朝と政子はすでに恋仲でしたが…
むしろその関係を引き裂こうとして山木兼隆に嫁がせようとしたということです。

しかし激しい雨の降りしきる晩、政子は
山木兼隆の舘を飛び出します。

ザァーーー、ザあぁーーー、

バシャバシャバシャバシャ

駆けていく政子。

ドンドン、ドンドン、

「頼朝さま!頼朝さま!」

「政子どの!いかがなされた、こんな雨の中」

「頼朝さま、私はあのような男の
妻となることは、
イヤでございます!
私は頼朝さまのことが!」

「政子どの」

「頼朝さま」

「政子どの」

というわけで、源頼朝と山木兼隆。
間に北条政子を挟んで恋敵でもあったという一つの説です。

ただし、頼朝と政子が結婚した時山木兼隆は京都におり、
三角関係など、ありえない話です。

まして恋に勝利した頼朝が負けたほうの山木兼隆に恨みを
抱くというのも妙な話で、後世の作り話と見なければなりません。

巧妙な根回し

攻撃目標を定めたものの、頼朝はとことん慎重な男でした。

山木兼隆の館は要害の地で、行くのも帰るのも人や馬が
通るのが大変な場所でした。

そこで頼朝は藤原邦通(ふじわらのくにみち)に命じて
詳細な地図を書き取らせます。

藤原邦通は京都の公家ですが、縁あって頼朝に仕えるようになっていました。

邦通は歌がうまく、山木兼隆の館の前で歌うと
たいそう気に入られ、数日間滞在します。

邦通はその間に館の内部、周囲の地形、
あまさず地図に書き取り、頼朝のもとへ持ち帰りました。

「でかした!」

頼朝は地図を受け取ると、北条時政を招いて、
攻め込む順路や、途中注意すべき地点など、
こと細かに打ち合わせをしました。

また相模や伊豆の豪族たちにわたりをつけて、
味方についてくれるよう工作しておきます。

工藤茂光、土肥実平、岡崎義実、
天野遠景、佐々木盛綱、加藤景廉(かとう かげかど)…

一人一人を私室に招いて計画を打ち明けます。

「まだ誰にも話していないのだが…
そなたを頼むがゆえに打ち明けるのじゃ」

「男と見込んで」という感じでです。
こういうのに、男は弱いですね。

(こんな大事を俺だけに打ち明けてくれる。
そこまで俺のことを買ってくれるのか!)

士は己を知る者のために死す。
この殿のためならば、命投げ出すことも惜しくないという
気になります。

なんてことは無い、みんなに同じように話してるんですが…

佐々木兄弟遅参

決行前夜。8月16日は、あいにくの雨でした。

雨が降りしきる中、頼朝はイライラを抑えながら
館で待っていました。

「えーい遅い!佐々木兄弟はまだ到着せぬか」

頼朝がもっとも頼りにしていた土地の豪族佐々木秀義の息子たち、
佐々木定綱、経高、盛綱、高綱
佐々木四兄弟の到着が遅れていました。

(もしや裏切ったか…)

頼朝の心に疑いがよぎります。
いよいよ旗揚げをしようというときに、何もしない前から
つぶされてしまう…そんなことは何としても避けたいところでした。

ようやく佐々木四兄弟が到着したのは、
翌17日未の刻(午後2時)でした。

佐々木定綱、経高、盛綱、高綱四兄弟のうち
定綱・経高は疲れた馬に乗り、盛綱・高綱は徒歩でした。

「おお…よく来てくれた!!」

頼朝は佐々木四兄弟の姿を見て感激の涙を
流しますが、一方でまた苦言を呈します。

「そなたたちが遅れたため計画が狂ってしまった。
今朝合戦を行うつもりであったのに…」

「遅参の段、何とおわびしてよろしいやら!
実は折からの洪水で、道をはばまれておりました」

四兄弟は平謝りに謝り、許されました。

襲撃

当初決行は8月17日早朝と決めていましたが佐々木兄弟の遅参で計画が狂い、
夜の決行となりました。

「明日を待っていては敵に気付かれてしまう。
そうなっては手遅れだ。めいめい山木の館に向かい、
雌雄を決せよ。この戦いによって生涯の命運を決めるのだ」

「佐殿、やりましょう!」
「いよいよですね!!」

武士たちはおおいに士気を上げていました。

北条時政が発言します。

「今日は三嶋大社の祭礼です。多くの人がひしめいています。
牛鍬大路を行くと途中で人にとがめられてしまうでしょう。
蛭嶋通りを行くべきです」

頼朝は答えます。

「たしかに正論です。しかし大事を行うのに裏道を使うことはできません。
それに蛭嶋通りは馬で行くことができません。
あえて牛鍬大路から行くべきです」

こうして牛鍬大路を進むことに決まります。

夜。

北条時政は手勢の40騎ばかりを率いて館を出発し、
正面の牛鍬大路を東に進みます。

ドカカ、ドカカ、ドカカ、ドカカ…

「目指すは山木兼隆の首!!」

馬上の人、北条時政は、たしかに今、歴史が作られている。
その瞬間に自分は立ち会っているという実感を、噛み締めていました。

襲撃

北条時政の舘には頼朝のほか、佐々木盛綱、加藤景廉らが残ります。
ほかの佐々木兄弟は山木兼隆の一族である堤信遠の舘を目指します。

深夜、堤信遠の舘にたどりついた佐々木兄弟は、
舘の表と裏に分かれて、

キリキリキリキリ…
ひょう!
どすっ、どすっ、

「む、うん…!なっ!敵か?」
「敵??」

「かかれーーっ!!」

この時佐々木経高が放った矢が、源氏が平家をほろぼす戦いで
最初に放たれた矢となりました。

「源家が平家を制する最前の一せんなり」(吾妻鏡)

激闘の末、佐々木兄弟は堤信遠を討ち取ります。

一方、北条時政の本隊は
中央の道を進み、山木兼隆の舘に到着すると、

キリキリキリキリ…
ひょう!!
どすっ、どすっ、

「な、むっ、賊か!」
「賊だと??」

「討ち入れーーッ!!」

北条時政の本体は大挙して山木兼隆の館に
駆け込んでいきました。

この日は三島神社の祭礼で山木兼隆の郎党たちの多くは出払っていました。
しかし留守をあずかる郎党はいずれもつわものぞろいです。
北条時政のわずかな手勢では苦戦を強いられます。

あせる頼朝

北条時政の舘で様子をうかがっていた頼朝は、
だんだん焦ってきます。

「成功したら舘に火をつけろと言ってあるのに…
まだ煙が上がらぬ…」

「失敗か?裏切りか?
もともと無理がある計画だったのか…」

そこで頼朝は、そばに仕えていた佐々木盛綱、
加藤景廉らに命じます。

「すまぬが加勢に行ってきてくれ」
「心得ました」

「…ああ待て待て」

頼朝は加藤景廉を呼び止めます。そして、

がしゃり

長刀を手渡します。

「必ず、山木の首を上げてこい」

「はっ…必ずや!」

山木舘の戦い

加藤景廉らは中央の道を進み、山木兼隆の舘に到着します。
でやっ、だあっと、すでに舘の中では激しい戦いが始まっていました。

「加藤景廉、加勢ーーッ!!」

ダダダダダ…加藤景廉は館の中に飛び込んでいきます。

それにしても、討ちいられたほうの
山木兼隆の立場になって考えたら、
たまったもんじゃないですよ。
理由もわからないですからね。わけがわからないですよ。

山木兼隆は
部屋の中に閉じこもって、太刀を構えていました。

「ううう…どうしてこんなことになってしまったのじゃ。
わしはマジメに仕事をしてきただけなのに…」

がたがた、がたがた、震えていました。

加藤景廉は、

すっ、すっ、すすっ、

廊下づたいに進み、

山木兼隆の部屋の脇まで来ると…

長刀の先に兜をひっかけて、
すーーとかかげます。

向こうから見ると、まるで武者が廊下の角から
のぞきこんでいるように見えるわけです。

「うう…むざむざとやられてなるものか。

「きえーーっ!!」

切りかかった太刀が、

どすっ!

鴨井に突きささります。

「ぬっ、ぐぬっ、ぐぬぬ!」

なんてことをしている間に、

ドカーー

障子を蹴破って入ってきた加藤景廉が
長刀で、

ズバーー

「ぐっは!!」

山木兼隆を貫いて、そのまま自分のほうに引き寄せ、腰刀を抜くと、

ずぶずぶずふずぶ

首かっ切ります。

加藤景廉は山木兼隆の首を長刀の先にぶっ挿して、
高くさし上げ、叫びます。

「加藤景廉が山木兼隆を
討ち取ったりィーー!!」

ぼっ、ぼっ、ぼぼっ…

そして舘に火をつけます。

勝利

北条時政の舘で頼朝が見ていると、

すーー

山木の舘から煙が上がります。

「勝った…勝ったのか!!」

なにしろ頼朝、20年間念仏してきた男です。
こんな時はお経の一節でも口をついて出たに違いありません。

翌早朝、頼朝と郎党たちは山木兼隆と
郎党たちの首を庭にならべ、検分します。

「まずは勝利」

北条時政が言います。

「しかし、祝宴を開いているヒマはござりませぬぞ。
すぐにも平家が討手を差し向けてくることは必定です」

「うむ。ぐずぐずしてはおれぬな。
皆の者、まずは十分に腹ごしらえをしておけ
すぐに出発じゃ」

「佐殿!」「御曹司殿!」

「20年の苦節、ようやく…」

ワァーー、ワァーー

集まった伊豆・相模の武士たち300騎あまり。
口々に頼朝の旗揚げを喜び
熱い涙を流す者もありました。

頼朝は朝餉をすませると、伊豆の豪族土肥実平をたよって
湯河原方面へ出発します。

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