厳島神社(二)

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さて今回は
『平家物語』の中から、厳島神社を舞台にした
エピソードを二つお届けします。

徳大寺の厳島詣で

徳大寺実定という貴族がいました。サネサダと読みます。
この実定は源平合戦の権謀術数うずまく中をうまく立ち回り、
平家にも源氏にも朝廷にも敵をつくらぬよう立ち回り、
左大臣までのぼりつめならが畳の上で安らかに亡くなった方です。

バランス感覚があったんですね。この時代、身分ある人の多くが
処刑されたり島流しにされています。無傷で生き延びた、
スゴイことです。『平家物語』の最終章ともいうべき「大原御幸」の章にも、
出家して平家一門の菩提をとむらっている徳子を訪ねる後白河法皇の
おともの一人として登場します。

歌人としても知られます。百人一首の歌

ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる

は徳大寺実定の作です。一字決まりの歌ですね。

さて、そのバランス感覚ある実定さんですが…
平家によって面白くない思いをした時期もありました。

平家一門の宗盛が右大将の位についたため、
実定は選にもれてしまいました。
希望していたポストにつけなかったわけです。

「つまらぬことよ。何もかも平家の思うがままとは…」

実定、屋敷にひきこもってふてくされておりました。

そこへ、蔵人重兼(くらんどのしげかぬ)という者がたずねてきます。

「何をふてくされておられますか」
「ああ、いくらがんばっても世は平家の思うままだからね。
つまんないよ。いっそ出家でもしようかと」

「出家?バカな!ご家臣たちは路頭に迷いますよ。
それよりも私に考えがあります」

重兼は実定に策をさずけます。
平家のあがめ奉る厳島へ参詣して、
七日七晩盛大に祈祷しなさいと。

厳島には「内侍」とよばれる巫女さんがいましたが、
その巫女さんをまきこんで、あら徳大寺さま素敵、
はぶりもよくってたまんないわとなる。

その勢いで、
七日の参詣がおわった後も巫女さんたちを
都までつれてきなさい。
そして、お酒も料理も大いにふるまって、

巫女さんたちはあー満足した、そうだ西八条の
入道さまの館にも寄っていきましょうと。

巫女さんたちは平家のあがめる厳島神社の内侍です。
清盛は御主人さまにあたるわけです。

清盛は「おっ、お前たち都見物か。何事じゃ?」
「はい。徳大寺さまが厳島参詣の帰りに、ついてきちゃいました」

「何?徳大寺が厳島で何を願ったというのだ」

「なんでも右大臣の位がほしいとか」

すると清盛は感激の人ですから、

「われら平家が崇め奉る厳島に参詣してまで
右大臣の位を望むとは!いじらしい。かわいげのある奴よ」

このやり方で、いけますよと、重兼は実定に策をさずけます。
そんなうまくいくかなあと思いつつ実定は、

厳島神社に参詣し、七日七晩盛大に祈祷します。
厳島には「内侍」とよばれる巫女さんがいましたが、
その巫女さんをまきこんで、
あら実定さま素敵、はぶりもよくってたまんないわとなる、

その勢いで、七日の参詣がおわった後も
巫女さんたちを都までつれてきて、
そして、お酒も料理も大いにふるまって、

巫女さんたちはあー満足した、そうだ西八条の
入道さまの館にも寄っていきましょう。

巫女さんたちは平家のあがめる厳島神社の内侍です。
清盛は御主人さまにあたるわけです。

清盛は「おっ、お前たち都見物か。何事じゃ?」
「はい。徳大寺さまが厳島参詣の帰りに、ついてきちゃいました」

「何?徳大寺が厳島で何を願ったというのだ」

「なんでも右大臣の位がほしいとか」

すると清盛は感激する人ですから、

「平家が崇め奉る厳島に参詣してまで
右大臣の位を望むとは!いじらしい。かわいげのある奴よ」

こうして実定、右大臣の位を手に入れたという…。
実際には徳大寺が厳島に参詣したのは時期がずれるんで
『平家物語』の創作ですが。

厳島神社を舞台とした『平家物語』のエピソードです。

卒塔婆流し

また「卒塔婆流し」という、あわれ深いお話があります。
反平家クーデターにくみした俊寛僧都、康頼入道、丹波少々成経の三人は
絶海の孤島、鹿児島沖の鬼界が島に流されてしまいました。

その中に康頼入道は殊勝な人で信心深い人で、
どうか都に返してくださいと、日々祈っていました。

島の木を削って卒塔婆を作り、都を恋い慕う歌を刻みました。

八重の潮風よ、私は薩摩潟の沖のこの鬼界が島におります、
そのことを親に告げ知らせてくれ。

……薩摩潟沖の小島に我ありと人には告げよ八重の白波

「どうか一本なりとも、都へ流れ着いてくれ」

ザブーと、卒塔婆を毎日流していたってんですね。
毎日毎日、歌をきざんでは流し、歌をきざんでは流し、
1000本も流したといいます。

ある時厳島神社の海岸で、「あれ?」「何ですかなあれ?」
ザブーンザブーン、波に乗って流れ寄るものがあります。

「これ卒塔婆じゃないですかね」「ええっ?」

取り上げてみると、歌と康頼入道の名前が書いてある。
ああ、これは島流しにされた人たちだ。
生きてるんだなあ。あわれなことだということで、

卒塔婆を都に届け、親のもとに届けて、ワッと涙を流します。
上皇さまも涙を流します。清盛も、島流しにした本人ですが、
さすがに心動かされます。

……薩摩潟沖の小島に我ありと人には告げよ八重の白波

「鬼界が島の流人の歌」ということで、
都の人は上から下まで口づさんだ、ということです。

≫続き 「以仁王」

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