内侍所都入

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見るべきほどのことは見つ

新中納言知盛は、

「見るべきことはすべて見届けた
(見るべきほどのことは見つ)。今は自害しよう」

こう言って、乳母子の伊賀平内左衛門家長を召して、

「どうする。日ごろ約束通り、われに随うか」
「もちろんです」

伊賀平内左衛門家長は主君新中納言に鎧二両を着せ、
わが身も鎧二両を着て、
二人手を取り合って海に飛びこみました。

それを見て侍たちも、

「わが君にお遅れするな」

二十人あまり手に手を取り組んで、
次々と海へ沈んでいきました。

しかし全員が入水したわけではないです。

悪七兵衛景清など数名は生き延び、
いずこかへ逃げ去りました。

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海上(かいしょう)には赤旗、赤印、
投げすてかなぐりすてたりければ、竜田河の紅葉葉を
嵐の吹きちらしたるがごとし。

主もなきむなしき舟は、
塩にひかれ、風にしたがッて、いづくをさすともなく
ゆられゆくこそ悲しけれ。
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生け捕りにされた人々は、

前内大臣宗盛公、平大納言時忠以下、
38名の方々が生け捕りにされました。

また女房では
建礼門院、重衡の北の方大納言佐殿以下、
43名の方々が生け捕りにされました。

院への奏上

同年4月3日、
義経は院の御所へ人を遣わして
奏上します。

「去る3月24日、豊前国門司、
長門国壇ノ浦、赤間が関にて平家を攻め落とし、
三種の神器を無事、奪還いたしました」

「おお!」
「よくやった!」

後白河法皇以下、大喜びされます。
後白河法皇はすぐに西国に使いをやって、
本当に三種の神器が戻されるのか
偵察にやらせました。

明石の月

同月14日、

義経は生け捕りにした平家の男女を連れて
西国から都へ上っていました。

途中、明石の浦で夜が来ます。
有名な月見所で、夜が更けるにしたがって
月が空高く上がり、見事でした。

女房たちは、

「去年ここを通った時は、
こんなことになろうなど、思いもいたしませんでした」

忍び泣きに涙を落とします。

その中に
安徳帝の乳母であり時忠の北の方である師典侍殿(そつのすけどの)は、

ながむればぬるるたもとにやどりけり
月よ雲井のものがたりせよ

(意味)
月をしみじみ見ていると
涙にくれるこの袖に月影が反射して映っている。
月よ天上(都)のことを聞かせておくれ

雲のうへに見しにかはらぬ月かげの
すむにつけてもものぞかなしき

(意味)かつて宮中で見た月の姿が
今も変わらず澄んでいるのを見るにつけても、
落ちぶれた我が身が身に沁みて悲しい。

重衡の北の方、大納言佐殿は、

我身こそあかしの浦にたびねせめ
おなじ浪にもやどる月かな

(意味)このような落ちぶれた身になった私は
明石の浦に旅寝するのだろうが、
去年ここを通った時と同じ月が海の波に反射して宿っているよ

「さぞかし心細く思われていることだろう」

義経はもののふながら情けを知る男だったので、
人々を見ていて涙を流しました。

こうして、

4月25日、八咫鏡を納めた内侍所と
やさかにのまがたま(しんし)が都に到着します。

三種の神器のうち草薙の剣だけは
二位の尼時子が安徳帝とともに抱いて入水したため、
見つけることができませんでした。

≫次章「一門大路渡」

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